そして
私は大学生になる頃を迎える。
朝から晩まで
バイトして、夜中バイクで帰る、大学は
行けたら行く。
という私立の大学にいれてもらったのに
親泣かせの
THE大学生。
を送っていた。
月一回の病院の検診をこなし、
薬を飲む毎日、、、以外の時間は、カラダのことは、1ミリも考える余地もないくらい
充実していた。
なぜなら
私には
夢ができた、
から。
洋服屋をやりたい。
しかも、仕入れは、アメリカのセレクトヴィンテージ‼️
それも、早々に実現したい夢。
みんなが、就活で、髪を真っ黒に、リクルートスーツに身を包んでる間
私は、焼肉屋、GAP、夜のクラブなどなど
働けるだけ働いた。
何者にもなって
渡米、軍資金を貯めた。
あの頃の私は、鏡に写る
自分の姿を、顔から下を無意識に見るようになっていた。
だけど
相変わらず友達とは
バカばっかりして過ごした、
そして、バカポジティブに無理矢理変換した脳内のおかげで、
私は、いつも笑っていた。
そして
カラダを無視して動きまくる重労働の
買い付け🇺🇸に夢中になった。
主治医の先生には、
ハーフマラソンを走ります、とか
アメリカ行きます、とか
幾度も先生の苦笑いを見た。笑
私の勢いに負けてしまった。笑
夏には必ず数値が上がるので、
先生は、余計なお世話だけど、
水は、とってよ、って
保健室の先生のような事を言うしかなかった。笑
私が若かったし
病気は、若いほど、ぶり返しも強い、反応も強い、それをわかっていたけど、血圧も
、アゲアゲのテンションで、笑
カラダが、真っ赤になっているのも、わかったし、
Tシャツが、上下するくらい、脈動が、強いのも、知っていた。
ただ、
私は、この大学卒業したての時期に
もう1こ、
大きな決断をする。
ある日の検診の帰り道、大量のステロイドなどなどお薬をぶら下げながら、
私のカラダは
私が治す、先生や薬じゃない。
この帰り道に、死ぬことだってある、
いつ死ぬなんて、わからないなら、
薬を飲み続けて、人生のオールを手放すより、ちょっと薬を辞めて、自分のカラダのオールを握りなおそうかな。
そう思ってから、
1日の質が、変わった。
私の人生は、明らかに彩りを増してきた。
記憶にないくらいカラダを酷使して
私は夢を形にする。
この頃
自分のお店を持つ。
初めて一人で行ったハワイで、
お店の雰囲気や内装を書いたノートがある。
その頃の私は、自分が病気だと忘れていた。
だんだんと、とても
大きなギフトをもらった
気持ちになっていた。
この、お店は、私、という人間を、さらに大きく成長させてくれた。
お客さんたちも、歳が近かったし、みんな
リラックスして来てくれた。
今もなお繋がってる、お客様たちは、
今は骨格セッションを受けてくれている。笑
人生って
不思議なものですね❤️🔥
つづく(三日坊主だけど、頑張るよ😘🫵❤️🔥)
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